初めて飼った犬は『エル』と名付けられました。
当時は犬を家の中で飼うということはありえなく、犬は外に犬小屋を造って鎖に繋いで飼うものでした。
散歩は朝と夕方、エサはよくいえば人間と同じもの、つまり残飯です。
エルはモリモリと餌を食べ、みるみる大きくなりました。
散歩が大好きで、私は朝5時に起きてエルを散歩に連れ出しました。
周囲は360度山で、エルは少年にはとても追いつけないスピードで野山を走りました。
田んぼのあぜ道を矢のように走り小さな点になるくらいまで遠くに行き、また走って帰ってきました。
ただ、気が向かないと帰ってこないことがあり、何回か小学校を遅刻したこともありました。
今ならあり得ませんね・・・・。
でも、あり得ない話をもうひとつ。
実は私の母は小学校の保健の先生で、しかも私が通う小学校にいました。それも6年間きっちりと。
ですから、私にとって小学校は毎日が授業参観のようなものでした。
私の通っていた西尾小学校は小松の山間部にある小さな学校で、クラスメイトは14人(男子5人、女子9人)。全校生徒は70数名でした。
生徒が少ない分、生徒間、生徒と先生の間も近くに感じたものです。ですから、親の手前、『いい子でいようっと』と思っていました。
が、しばらくすると本性が目覚め始めます。とにかくジッとしていることが嫌いで、常に何か面白いことをしていないと気が済まない(今でもそうですが・・・)。授業がつまらないと筆箱の中の虫で遊んだり(っえ?)、他の学年が運動場で理科の授業をしているのを見てそちらに参加したりと(おいおい)、ムチャクチャナことをしていました(ハハハ)。
その代り母も容赦がありませんでした。授業中にふざけているのを発見すると授業に乱入、担任を押しのけて私の頬を往復ビンタしたこともあります。運動場で立ちションして職員室に立たされたときは、職員室と家でボコボコにやられました。
おっとっと、犬との話しだった。
『エル』はよく吠える犬で本当に困りました。誰にでもあたりかまわずとにかく吠えないと気が済まない!といった感じ。
私の家と小学校は比較的近く、教室から『エル』が吠えているのがよく聞こえました。ある日、いつもより長く吠えているので気にしていると、例によって母が登場、『えっ?わしゃ今日はまだ悪いことしとらんぜ』と言おうとした矢先に『ちょっとエル何に吠えているのか見て来いま!』と母。
『っえ?』あまりの予想外の発言にアゴが外れそうになったが、『先生見てきていいですか?』と尋ねると『いいですよ!(できれば帰ってこないで・・・・)』っときたもんだ。大喜びで学校を抜け出しました。エルは吠えていたのに別に変った理由もなく、せっかくだからといって一緒に散歩に出かけました。平日学校に行かずに犬を散歩すると、見慣れた風景もいつもとは違ったように見えてドキドキしたのを今でもよく覚えています。
そういえばこんなこともありました。
毎年春と秋に狂犬病予防注射が西尾の場合は歩いて30分くらい離れた塩原町公民館で行われており、そのときにもやはり学校を抜け出して自分が注射に連れて行っていました。
おもしろいもので、注射を受ける時に犬が臭かったり汚れていたら恥ずかしいと思ったのか、注射の前日に犬を洗う風習がありました。また、その時に新しい首輪と鎖にチェンジ!するのも毎回のことでした。ですから我が家には何本も古い鎖があり、その鎖を使って当時大流行したブルース・リーのヌンチャクを作ったものです。
春は蒸せるような新緑に誘われ、秋には秋晴れの太陽の臭いに乗るように、歩いて会場に向かうのですが、決まって注射会場を目の前にした時に、犬が嫌がって首輪抜けをして逃げ出したものです。この集合注射は現在でも行われており、自分も去年は塩原会場の担当になりました。でも、さすがに学校を抜け出して登場する少年はいませんでしたヨ。

左)体操服がシブイでしょう
右)最近こんな風に犬を飼う家庭が減りました。どこか懐かしいですね
この犬小屋でよく一緒に寝ました。