1986年12月31日の大倉岳山頂は、どよんだ雪雲の下にぼた雪が落っこちてくる北陸の冬独特の天候でした。その中でかじかんだ手をこすりながらそそくさとテントを張り、ブーツを脱いで中にもぐりこむ。わずか1畳たらずの室内は私とエルの体温ですぐに温まります。まずは熱い紅茶で一息つき、レトルトとスナックの軽い夕食を済ませ、持ってきた携帯ラジオのスイッチを入れると「好きよ〜あなた〜今でも〜今でも〜」と紅白歌合戦で熱唱する吉 幾三の声が・・・。紅白歌合戦は世界中で放送され、世界に散らばった邦人の心をなごますというが、なんとなくその意味がわかったような気がしました。言葉が通じず、文化も違う異国で聴く演歌は心にしみる
気がつくといつしか深い眠りに就いたようで・・・、時計を見ると1月1日の午前2時。87年の年明けを私は犬と2人寝袋にくるまりながら迎えました。初夢は覚えていません。
翌朝もやはりぼた雪。朝食は雑煮です。秋のうちにデポ(穴を掘って食料などを保管すること)してあった薪を掘り出し、火をおこし、コッヘルでその辺の雪を溶かしてお湯を沸かす。持ってきたスルメでダシを取り、佐藤の切りもちを入れると念願の雑煮が出来上がり。平地で食べてもさほどウマくないものが、山で食べるとすこぶるウマい。この雑煮は私が生まれて初めて作ったものでもあったので今でもその味は忘れられません。
さて、雑煮を食べた後は、撤収作業。ビチャビチャに濡れたテントをたたみ、来たときよりも遥かに重いザックを背負って山道を下る。帰りは再び大倉岳高原スキー場を通過し五百峠から尾小屋に向かう。荷物を背負っての山歩きは登りよりも下りの方が実は大変。陸上部で鍛えた膝もガクガク。休み休み急勾配の道を下り、夕方近くに尾小屋の集落に無事到着しました。
本当は近くの公衆電話から父に迎えに来てもらう電話をする予定だったのですが、何だか立ち止まるのが惜しく思え、そのままエルと家のある観音下町まで歩きました。
いったい何キロ歩いたのか分かりませんが、とても充実した3日間が終わり、結果的にはこれがエルと行った最後のキャンプになりました。