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小松市の動物病院・トリミング
すずき動物病院

野生動物との関わりに没頭した学生時代。ナンバー1の思い出は大学4年生にある。サルの調査中に1頭の子ザルが母親からはぐれて畑に取り残され、その子ザルを自分が育てることになったのです。連れてきたのは前にも書いたS先輩。このとき先輩は就職しており当然日中は面倒を見れないので自分が育てることになったのです。教授に相談したら「まっ、やってみるんだねぇ〜」とのこと。研究室は各種のサルを飼育していますが、感染症防除の観点から野生のサルを同居させるわけにはいかないので子ザルは私のアパートで飼育することになりました(もちろんペット飼育不可)。さらに、いずれは山に帰すんだから人に慣れさせないように!という指示つきでした。私は小型のケージを研究室からアパートに運び、中にぬいぐるみや毛布を入れ、なるべく人慣れしないように育てようとしました。しかし、目も開いていない子ザルを愛情抜きで育てるのは無理でした。そこで私は子ザルに「コナン」と名付け、野生の母ザルがするようにほぼ24時間べったりくっつくようにして育てたのです。ミルクは明治、森永を飲ませ比べたところ明治がいい! 哺乳瓶は成長に合わせ、犬用から人用へと変えた方が良い。オシメは・・・という具合に新米の母親以上に気を使いました。おかげで子ザルはすくすくと成長。しかし、困ったことに明らかに私のことを母親と思っているようでした。

最初はあまり触らないようにして育てようとした。

鉄格子を握りしめる小さな手を見ると胸が痛んだ。

来たときはやっと目が開いたところ(生後1週間)

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 やはり、赤ん坊には愛情が必要

6畳一間のアパートで子ザルを育てた

隣人 友人 先輩後輩 つまり教室の先生とS先輩以外にはナイショ

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2頭のムササビは授乳期、離乳期をセンターで送り、次はいよいよリハビリ期に入りました。ムササビの最大の特徴は、樹上生活をしていて、木から木には前足と後肢のあいだにある皮膜を広げて滑空すること。つまり飛べなくては話にならないということです。そこで、手始めに柔らかいクッションを引いた床に「ポ〜ン」という感じで投げてみたら、意外や意外ムササビは幕を広げるそぶりをして明らかに「トベるんだよ、おいらはぁ」という感じで着地したのです。「ほ〜。ほんならやってみるんだね〜」と5mくらい先をめがけ真横に投げると、なんと見事に滑空し、さらに数メートル先に着地したのでした!。驚いたのはムサは飛ぶことが楽しいらしく、投げられて滑空、着地後は私のところまで自分で戻ってきて「もう1回頼むよ〜ん」という目線でこちらを見るのです。これは本当に楽しかった。私は何度もムサに催促されて飛行訓練?につきあいました。飛ぶことに慣れたムサは20mは平気で飛べるようになりました。

しかし、問題は飛ぶことではありませんでした。ムササビは樹上で頭を上下して飛び移る枝までの距離を測り、ジャンプ、そして正確に飛行します。私たちの育てたムサたちはこの距離を測る仕草はするのですが、残念ながらどう促しても自分で飛び立つことができなかったのです。

 台の上のムサ 首を振って距離を測るには計るのだけど・・・

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広いフライングケージで暮らすことになったムサ

お気に入りの巣箱から顔を出す

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哺乳類の幼獣の人工保育は大変ですが、日に日に大きくなっていくのを観察できるのでとても楽しいことでもあります。

ある日センターにムササビの幼獣が運び込まれました。ムササビは木にできた洞に巣を作り子供を育てるので、巣から落ちた場合は速やかに戻せば十分親が育てる可能性があります。ですから私たちは救護者から場所を聞くとセンターで一番長い梯子を車に乗せて急行しました。しかし、言われた木を見上げて「ギョッ!」その木は樹齢にして100年を超えたケヤキで、ムササビの巣穴ははるか上空で全く見えませんでした。ムササビを巣に戻せず残念でしたが一同なぜか自然の偉大さに感動。空を見上げると樹齢百年以上の大木の枝が春の風に揺られてカサカサ音を立てていました。

保護されたムササビの幼獣

人口哺乳の甲斐あって目も開いた

ミルクは犬用で代用がきく

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センターの飼育室前で育てたムササビと

兄弟ではなかったが、オスとメスで仲も良かった

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5年生の夏休み、私は自然保護センターで1カ月半毎日研修という名目で治療と飼育のボランティア活動をしました。その頃には野生動物学教室の先生方のご尽力あって、顕微鏡、血液検査の機械、レントゲン、吸入麻酔機それに抗生物質や点滴などの治療薬が揃えられました。センターには多いときには10頭以上の怪我や病気の野鳥、獣が運ばれてきますので、職員は大忙しです。また、中には幼獣も運ばれてきます。私はセンターに通ったおかげで、ツバメ、スズメ、ムクドリ・・・・・の野鳥はじめ、ニホンザル、ムササビ、タヌキ、ニホンジカ、ニホンカモシカなどの哺乳類の赤ん坊の人工保育に携わることができました。タヌキなどは6頭くらいいっぺんに運ばれてくるので2時間おきに授乳すると終わるころには間もなく2時間というありさまでいっぺんに寝不足になります。ですから複数人が協力して育てる必要があります。幼獣を育てるうえで難しいのは3点です。1つめは授乳 2つめは下痢などの胃腸障害をおこさないようにすること。特に離乳期に注意 3つめは野に返すためのリハビリ です。タヌキはイヌ科なのでミルクは犬用でOK。離乳もさほど難しくありません。しかし、手をかけて育てることで人馴れしやすいので注意が必要です。私はセンターにある野外施設の山林を子だぬきを引き連れてよく野外純化のために散歩しました。そこではタヌキが食べている昆虫類などを採取して食べさせました。また、野外の大型のリハビリケージで人の手から離れて生活するための訓練をして、自然界で野生のタヌキが親から離れて旅立つ秋口ごろにセンターから離れた場所に放獣します。乳飲み子から育てた動物を放獣するときの気持ちは切なさと、期待と、安堵感がまじりあった不思議な気持ちです。できれば交通事故などにあわずにたくましく育ってほしいと願うばかりでした。

タヌキを治療する自分

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 子ダヌキの調子を診る自分

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 GWの3日間 恒例のキャンプに出かけました。

今回はSASUKEの長野 誠ファンの長女の希望でフィールドアスレチック初参戦

その後、中能登の石動山キャンプ村で2泊しました。

 アスレチックは本格的で40基以上の障害があります。

 4歳児にはキツイ項目もありますが、大満足です

 小学校中学年くらいからはちょうど良いコースですね

 石動山テント村は管理人さんが20年かけてコツコツ作り上げたキャンプ場です。

山間にあって余計な設備が一切ない代わりに自然にあふれていて、利用者も少なくのんびりできます

 夜ごはんは普段家事をしない私の仕事

今回は魚介パエリアを振舞いました どうじゃ~

翌日は石動山登山にチャレンジ!

山頂までは行けませんでしたが、途中でウドを採取し、昼食はてんぷらうどんを堪能しました

写真は山頂に出現したゴリラの親子

遊具などはないので持参したバトミントン、野球、フリスビーなど体を使った遊びをしましたヨ

写真は二女相手にムキになる父

キャンプ場の犬:クロスケは人懐っこくてカワイイMIX

このキャンプ場は最近では珍しいペット同伴可です。

写真は 犬猿の仲!?

八重桜が満開! 久しぶりにのんびりしたGWで楽しかった!

次回はやっぱ海でしょ

休診日の昨日、朝の入院患者さんの治療を終えた後、うちのワンズを連れて、だいぶ遅い花見に出かけました。連日の寒さから一変しての小春日和。山では新芽が一斉に芽吹きすがすがしい陽気に包まれていました。久しぶりに出かけたワンズも思い思いに春の里山を満喫したようです。

サクラは散ってましたが、スミレが満開でした!

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 自然の中で自由にすると、なんとも言えない良い表情を見せてくれます

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一通り走ったとは、涼しい車内でお休みですか

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11歳とは思えないくらい元気です

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獣医大学の5年生のときに私は自分の無力さを痛感しました。もう20年近く前のことですが、死にそうなタヌキを前にして何もできずに情けない思いをしたことは今でも忘れられませんし、何よりも忘れてはいけないと思っています。授業では外科、内科をはじめとする臨床系、薬理、病理などの基礎系はもちろん実習もありました。また、野外では誰よりもたくさん野生動物の調査に行ってたくさんの動物を見ていました。でも、結果として自分は何もできなかった・・・。この事件は生まれて初めて「知っているつもりが一番怖い思いをする」ということを教えてくれました。

 私は週に何回も自然保護センターの救護施設にボランティアで足を運びました。当時はセンターにあまり予算はなく、レントゲンも血液検査の機械も、点滴の器械も注射針さえもありませんでしたし、職員に獣医師はいません。ですから、センターに動物が運ばれると担当のSさんは近隣の開業獣医師を呼び治療してもらってました。しかし、年間1000頭(7割は鳥)以上が搬入されるので、いちいち先生を呼んでいてはとても治療が追いつきません。放っておくと手遅れになることもしばしばです。私はセンターに行くときはいつも自前のボックスに抗生物質、点滴などの治療薬や包帯、ガーゼの衛生具、点滴チューブや注射器、麻酔薬と縫合セットを携帯し、応急処置を行った後は速攻で大学に戻り研究室の仲間と、時には外科や内科、放射線科の同級生、先生方と一緒に(巻き込んで)深夜までかかって治療しました。手術が夜で、徹夜で看病するといったことはしょっちゅう。大学にはそれぞれの分野のスペシャリストがいます。骨折の場合は外科、寄生虫の場合は寄生虫学、血液病の場合は臨床病理、そして、治療の甲斐なく死亡した場合は病理といったぐあいです。傷病鳥獣を診るという事はさながらER(救命救急)の動物版で、緊張感に満ちていました。

衰弱した子ジカの救護

草食獣が衰弱した場合の改善確立はかなり低い

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22日は朝から快晴 久しぶりに家族で出かけました。行き先は大杉の「わんぱく広場」です。3月の下旬でまだまだ肌寒かったですが、子どもらと体を動かして遊ぶのは健康的で気持ちが良いものです。また、外で食べるご飯はウマイ、ウマイ。次回はGW! 山菜のテンプラ食べたいな〜。

 国民的遊び1 縄跳びの2重とび!?

 国民的あそび2 フリスビー

 国民的遊び3 ブランコ(現地で手作り)

横からはこんな感じ 「アルプスの少女ハイジみたい」長女談

子ザルは車のルーフから降りず・・・・夢中

5年生になったとき、卒業論文のテーマに「野生タヌキのライム病抗体保有状況」というテーマを選び、神奈川県立自然保護センターから検体を提供いただけることになりました。神奈川自然保護センターでは傷ついた野生鳥獣を保護収容し、治療とリハビリを行い野生復帰させていました。しかし、中には助からない動物もおり、私はその中からタヌキの死体をもらい、血液の分析や解剖を行う予定でした。もしセンターでタヌキの死体が発生した場合は研究室のFAXに連絡を頂き車で回収に行く。第1報は約束してまもなく入りました。私は実習をそこそこにこなし、2時間かかるセンターに行って「これです」と言われたタヌキを見てビックリ。私が見せられたタヌキは瀕死の状態であり生きていました!。担当のSさんは「助けてやってよ〜獣医の卵なんでしょう?!」 正直言ってこの言葉には面食らいました。すぐに研究室のH先生に連絡をとり応急処置方法を習って実践し、大学に550ccの軽をぶっ飛ばして帰りました。検査の結果、タヌキは交通事故によって膀胱破裂を起こしており教授の手術によって一命を取り留めました。ほっとした安堵感と獣医の学生なのに動物の治療が何もできない自分がとても情けなく思った出来事でした。と同時に、この日を境に「野生動物の救護」という分野にのめり込んでいったのです。

保護されたタヌキ 治療を終えこれから野生復帰のトレーニングを行う

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獣医大学学部生の生活(私の場合)。

8時半から12時まで授業。午後1時30分から終了まで(長いものでは夜中)実習。実習が速く終わったときは研究室の仕事。とりわけ野生動物学教室ではタヌキ、シカ、サルなどの解剖が多く、先輩や同僚と夜遅くまで解剖室でひたすら解剖を行っていました。解剖から得られる生物学的情報(固体の性別 年齢 体格 栄養状態 死因など)は現在生息中の野生動物の保護のための貴重なデータとなります。ではそれらの死体はどこから来るでしょう?一番多かったのは自然保護センターに収容され死亡した固体。次いで猟師さんからの提供(有害鳥獣駆除時)、交通事故死体などです。多いときには80kgを越すニホンジカ3頭なんていうときもありました。そのような時は教室員総出での作業になります。3年生から4年生までの2年間は午後の実習も遅くまで続くものが多く、それよりもさらに遅くまで大学に居残ることが多かったです。つらかったけどとても楽しかった時でした。また、そのときに得た知識と技術は今の自分の大きな糧となっています。

また、当時の情熱は今も現在進行形で続いています。

交通事故後死亡したニホンジカの死体を自然保護センターから引き取る

センターへの往復は大学から約4時間

左の緑のシャツが私 大学5年生のとき

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獣医学科は6年制です。1.2年生は一般教養と解剖学などの基礎的な学問を学び、3年生からは内科、外科、病理・・・などを専門的に勉強する一方で、研究室に所属します。私は本校に入学した目的どおり野生動物学教室に所属しました。3年生はもちろん研究室では下っぱで、「当番」というのがあり朝と夕に研究室で飼育しているサル(カニクイザル、ベニガオザル、ニホンザル)タヌキ、トビなどの世話をします。この当番は4年生も行い、主に3年生の指導にあたります。5年生は会社でいうところの中間管理職、6年生は部長クラス、講師は次長、教授は社長です。入籍した当初は4年は長いな〜と感じましたが、実際は時は飛ぶように過ぎました。野生動物学教室の教授は「和(にぎ) 秀雄」先生で日本の野生動物医学を確立された第一人者です。指導姿勢も厳しく、「獣医たるもの、なんでもできねばならぬ」と学生には内科、外科、解剖、繁殖、生理学なんでも自由に学ばせてくれました。ですから何もやらないと何にもできない獣医になってしまう気風があり、研究生はそれぞれ皆自分のやりたい研究に従事していました。その習慣は今も抜けず、私はボーっとしているのが大嫌いで常に何か行動していないと落ち着きません。

ニホンジカの治療風景

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老犬になってももちろんトリミングは皮毛の衛生、美容の双方にとって必要なことです。

しかし、長毛種となると長時間立っていることが辛くなります。

そこで、今回は2週間ごとに来るこの子のために、「補助用つりさげバンド」を作成しました。

ホームセンターに行って、頭の中でどうやったら使いやすくて、犬も快適なモノが作れるか考えながら買い物をするのは非常に楽しいです

これなら、体を全て自分で支えなくても立っていられるので楽ちんです。

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ニホンザルは群れで生活しています。彼らは早朝日の出から活動を始め、おもに採食のために山中を動き回ります。もちろん人が歩くようななるべく平坦な道ばかり移動するとは限りません。ときにはものすごいスピードで崖を下ったり、沢を渡ったりします。調査では彼らの頭数、年齢ごとの性別数、季節ごとの食べ物、季節ごとの利用地形等を調べるわけですが、これらは全てサルの群れを追跡しながら行います。忍者のように木陰に隠れて食べている植物を観察したり、尾根道を渡るときに頭数や性別を確認したり、糞を採取し、分析して食べているものを調べます。サルの移動についていけないときは、他の調査員にサルの移動方向を伝え、先回りをしてもらいます。サルは夕方「鳴き交わし」という普段では出さないような甲高い声で一斉になくことを合図にして一日の移動を辞めます。ですから私たちはその泣き交わしを聞いてサルの「止まり場」を抑えた後下山し、また翌日の早朝、サルが移動を始めるまえにその場に戻り、また一日中サルを追跡します。ですから1週間も連続してサルを追うと身も心も疲れ果ててしまします。しかし、そのようなときでも仲間との焚火を囲んでの宴会は楽しかった!。疲れも一気に吹っ飛びます。

辛い山行のあとの焚火は最高!調査での一番の楽しみでした

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野生ニホンザルの調査。背中のリュックには水筒、ヘッドランプ、ナイフ、植物図鑑、ビニール袋、雨具、弁当、トランシーバー。頭に手ぬぐいをまき、手には軍手、ポケットには地形図とコンパスとフィールドノート。首から双眼鏡をぶらさげる。これがいつものスタイルです。山中では五感を研ぎ澄まして野生と対峙します。足元のフィールドサイン(動物の糞や食跡、足跡)、対岸の尾根の木々の揺れや動物の鳴き声、ボーっと山を歩くだけではサルは見つかりません。ですから、経験豊富な調査員ほど収集する情報量が豊富でサルを上手に見つけます。また、山を歩く技術も調査員の重要な要素です。道なき道を地形図を頼りに歩くのですが、場合によっては尾根ではなく急な斜面をかけのぼったり、駆け下りたり、横切ったり。しかし、本当に重要なのは登る技術よりも降りる技術です。登るのは簡単、上へ上へと行けばいいだけ。疲れもピークに到達すれば癒されます。しかし、下りを間違えると最悪! 沢に落ちたり、崖にでたり。そんな時は体力も落ちてヘロヘロ、最悪遭難ということも・・・。ですからリュックにはいつも非常食とヘッドランプを携帯します。

青森の下北半島でのタイワンザルの調査

この後、尻を咬まれた・・・・・・・。

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初めて参加した野生ニホンザルの調査は今でもよく覚えています。

「広大な山の中で野生のサルなんて見つかるのだろうか?」とも思いましたが、S先輩と一緒に山に入って感激しました。先輩はまず山の入り口の集落のいくつかの民家を訪ね、「最近サルをみましたか?」と聞き込みをし、集落にある畑への出没状況を調べました。その後、宿泊地となる場所まで山間の林道を歩くのですが、ただ歩くのではなく道端の糞や植物に残る動物の痕跡を記録し、常に山の斜面の様子(鳴き声やサルが木を揺らすこともある)を観察します。そして、早ければテント場に到着するまでにサルの群れを発見してしまいました。野生動物のことを聞くと何でも答えてくれるので私は心から尊敬しています。さて、テント場に到着するまでに手がかりがなかった場合は、調査員は地形図をもとに山中を双眼鏡、コンパス、トランシーバーを持って調査します。ここでいう山とは白山のような標高の高い山ではなく、1000m以下の里山です。ただ地形図をちゃんと読めないと当然迷ってしまい、遭難となります。遭難しないとしても自分がどこにいるのか分からないようでは調査になりません。ですから新入部員は先輩から一人歩きの免許皆伝がないと一人では山を歩かせてはもらえません。私は地形図を見ながら自由に山中を歩く先輩にあこがれ、学校の授業そっちのけで山に通いました。おかげで1年の部員の中ではだれよりも早く免許皆伝してもらいました。

山での調査風景

現在の自分の位置、サルの位置を仲間にトランシーバーを使って交信する

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開業したらやりたかったことの一つに「息子の坊主刈り」がありました。

うちは1番、2番と娘だったので、3番目に男子が誕生した時には絶対坊主にしようと決めたのです。

なんどかチャレンジするもトラ刈りに・・・。

しかし、最近はバリカンにも慣れてずいぶん上達しました。

息子も毛が伸びると「頭切って〜」とせがむので、どうやら気に入っているみたいです。

東京都というと大都会と思いきや、実は奥多摩地域にはニホンザルをはじめ、ツキノワグマ、ニホンジカ等の大型野生動物も生息しているほどの豊かな自然が残っています。研究会では対象動物によって「サル班」「トリ班」「アナグマ班」「魚班」に分かれており、新人はどれかの班に所属することになっていました。さてどうしようか?と迷っていた時、部室でS先輩に出会いました。S先輩は6年生で野生動物学教室所属、1浪しているのでわたしより7つ年上で、一緒にいるのが不思議な感じがしました。その大先輩がこれから1週間、一人でサルの調査に出かけるというのです。入学してオリエンテーションを受けた直後で、まだ友人が一人もいない状況で私は先輩と一緒に1週間サルの調査についていくことにしました。決め手は「大学と言うところは高校と違う。教科の3分の2以上出席していないと試験はうけられないけど、それは3分の1は休んでいいということなんだぜ。」というセリフ。すぐにアパートにもどってキャンプ道具をザックにつめ、部室で先輩と一緒に地図やらガソリンコンロやらテントやらを詰め込み、近くのスーパーに1週間分の食料を買いに行きました。学生だから車なんて当然なく、荷物は全て背負い、交通手段は電車とバスと徒歩。大学は新宿から中央線で20分のところだったので、調査地までは電車で90分、バス40分、徒歩40分かかりました。

私は高校時代相当鍛えていたので自信があったにもかかわらず、バテテしまいました。

左)お世話になった大先輩 かなりの影響を受けました

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18歳になったばかりの春(私は3月29日生まれ)、期待に胸を膨らませ大学のキャンパスに足を踏み入れました。私が日本獣医畜産大学(日獣大)に入学した理由はただ一つ。日本の獣医科大学でこの大学にのみ「野生動物学教室」という専門の講座があったからです。野生動物学教室の和秀雄(にぎ)教授の「獣医学を通して動物を内側から知る」という言葉に高校3年の時に出会い、もうここしかない!と決意。これまで自分なりに犬とは深く親しんできましたが、対象が野生動物となれば全く未知の領域であったし、講座も誕生したばかりで開拓者的な雰囲気に満ちていました。しかし、教室には3年生から所属します。そこで私は教授が顧問を務める「野生生物研究会」に入部することに。部室は体育会系、文化系のそれぞれの部が一堂に集う建物の2階の端っこにあり、6畳一間くらいで中央にドンと大きなテーブルがあり先輩が集って話していました。奥には古びたキャンプ道具が並べてあり、一昔前の山道具屋さんの匂いがぷ〜ン。一人で上京した寂しさも吹っ飛びました。そこで「入部希望です」と言うと、先輩はとても親切に私を迎えてくれました。「野生動物・・・」なんていうとゴリラみたいな男ばかりの集まりかと思ったら、女性もたくさんいてビックリ!

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部ではニホンザルの調査班に所属

調査地での宿泊はテントで自炊

女性の先輩が作ってくれた山での鍋は最高!!

1988年の春、私は期待に胸を膨らませ、金沢駅発夜10時22分の寝台特急北陸に乗って大学進学のため上京しました。私が入学したのは日本獣医畜産大学の獣医学科で、新宿から中央線で20分の都会にありました。今は名前を変えて日本獣医生命科学大学となっています。寝台特急は早朝に上野駅に到着します。ホームを出てビックリ!、なんと一面が昨日から降った雪で銀世界でした。しかし、そのとき私はすごくホッとしました。なんせ、自然度90%の田舎から自然度10%のコンクリートジャングルに来たのですから、内心かなりビビっていたのです。それが今まで慣れ親しんできた雪景色になっていたのですから。しかし、その後が最悪。慣れない電車を乗り継いでなんとか住まい(学生ボロアパート)に到着したものの、待てど暮らせど送った家財道具が届きません。雪で運送業者が立ち往生していたからです。薄壁で畳敷きの部屋はガラーンとして寒い寒い。今みたいに携帯電話などないのでとにかく部屋で待ち続け、辺りが暗くなるころやっと荷物が届きました。でも、ストーブなど火機はないのでとりあえず山で使っていたダウンジャケットに身をくるみ、冷え切った体を温め、一応簡単に荷物を整理しようと思った瞬間「バチン!・・・・」という音とともに部屋が真っ暗になりました。キャンプ用のヘッドランプで捜索したところブレーカーは大丈夫。ということは・・・・予想どうり電源ヒューズそのものがブチ切れていました。ここまでくるともうお手上げ。はじめて上京した友人知人のだれ一人いない都会のアパートの真っ暗の一室でポツンと一人いる田舎もん状態のの私でした。さて、どうしよう・・・いや待てよ。荷物の中にいはいつもキャンプで使っていた道具たちがあるではないか。ということで、上京初日は東京内での初キャンプになりました。ガスランタンに火を灯すと余熱で6畳一間のアパートはそれなりにあたたかくなり、キャンピングガスで作った食事はレトルトの親子丼だったけどとてもおいしかったことを今でも覚えています。その後は布団もあったけどそれだけでは寒かったので、ダウンの寝袋にくるまって寝ました。

それなりにドラマチックに始まった私の学生生活はこれまでの暮らしとは180度異なる、野生動物一色の生活です。今後はそんなWILDなお話を紹介したく思いますのでお楽しみに。

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愛犬の死 それはほとんどの飼い主が避けては通れない茨の道です。

病死、事故死、老衰・・・・ どんな別れ方をしたにせよ、辛くただ悲しい。

エルの死は、大学生として住んでいたボロアパートに入った母からの電話で知りました。

気を使ってくれた母は、一つ一つ言葉を選ぶようにして、亡くなった時の状況を話してくれました。

どんな言葉をかけてくれたかは覚えていませんが、優しく、どこかぎこちない口調だったことは覚えています。

電話を切った後、ふらっと学生街の居酒屋に行き、壁に貼り付けてあるメニューから石川県の地酒を探し注文しました。店のおばちゃんが枡に酒をなみなみと注いで、目の前においてくれました。しかし、一口舐めた後、店を出ました。なんか、こんなんオッサンみたいでイヤやったんです。

エルは8歳から20歳という私の成長期をとても刺激的にしてくれたかけがえのないパートナーです。ですから、一緒に培った前向きな気持ちを、何かこうバァーっとエネルギッシュに爆発させたい気持ちで一杯でした。当時私は獣医大の学生で、野生動物の調査で山にばかり行っていましたので、夢中になって打ち込むことがありました。寝泊まりはいつも赤い寝袋。ただ、高校時代と違ったのは、全国から集まった大勢の先輩や同級生、後輩と一緒だったことです。同じ志を持って上京し、同じ目的で山というフィールドで活動する。そこで得た経験が大学生活のみならず、今の自分をも支えています。

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亡くした悲しみは時を経て感謝の気持ちに変わりました。

彼女に恥ずかしくない生き方をしたく思います。

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※月、祝は除く

すずき動物病院

住所

〒923-0831
石川県小松市打越町い233

アクセス

加賀方面からは…
①「8号線」からのアクセス
  国道8号線を「沖町交差点」で右折し直進、「打越」交差点で左折してください。
②「加賀産業道路」からのアクセス
  8号バイパス「佐々木I.C」で下りて左折し直進、「打越北」交差点で左折してください。

金沢方面からは…
①「8号線」からのアクセス
  国道8号線を「園町交差点」で左折し直進、「打越北」交差点で右折してください。
②「加賀産業道路」からのアクセス
  8号バイパス「佐々木I.C」で下りて右折し直進、「打越北」交差点で左折してください。

診療時間

平日:7時~12時/16時~19時
土日:9時~12時/15時~17時

休診日

月、祝

第1種動物取扱業

・第220B058号
・登録年月日 令和2年6月16日
・登録期間の末日 令和7年6月15日
・動物取扱責任者氏名 鈴木隆史
・動物取扱業の種別 保管